赤に染まる~もし女子大学生が車いすバスケのマネージャーになったら~


「赤に染まる~もし女子大学生が車いすバスケのマネージャーになったら~」

なんで車いすバスケに興味持ったの?とよく聞かれるが、熟年夫婦の好きになったきっかけみたいなもので、なぜかといわれると分からなくなる。記憶って曖昧だ。
桐谷凛が記憶している中ではっきりと覚えているのは、インスタグラムで車いすバスケをしているリールを珍しく最後まで見た時だ。それもガチの練習で、ボールは使わずにシャトルランのようにすごいスピードで体育館の壁から壁までを漕いでいる。多分、そこがきっかけだ。うん、きっと。もしかしたら。

興味をもった車いすバスケについて調べてみることにした。近くで練習してるチームあるじゃん。随分とデータ容量が少なそうな簡潔なホームページが出てきた。
「マネージャー募集中。」そんな隅っこに書く?普通。ネットショッピングでよく見る、効果は個人差があります、位の小ささなんですけど。まあ、家から近いほうがいいよねと思い、とりあえず連絡してみた。
凛は、春から大学生。たしか、教授にメールを送ったときに、メールの書き方を調べたことがある。ググって出てきた内容を真似してみた。これで失礼にはならないか、と確認をして送信。未成年にしては背伸びしすぎな気もするけどまあいい。

メールしてから1週間後、初めて練習を見学することになった。緊張と興奮ので、なんだか落ち着かない。集合時間の10分前に来てしまった。もうGWも終わり汗ばむ季節だからか、余計に体が熱い気がする。傍から見たら、じっとしろと突っ込まれるくらいだ。べつにボケているつもりはない。そこら辺をぶらぶらしながら、「マネージャーさんってどんな方がいるのかな」「まずは自己紹介だよな」と考えていると、後ろから男の人の声がした。
「あ、連絡くれた子だよね。ちょっと待ってね」
ミニバンの運転席から窓を開けてわざわざ言ってくれた。
マネージャーの方なのか?多分メール返信してくれた人だよね、男の人だったんだ!へー!と思っていたら、彼は駐車場に車を停めて、運転席の背もたれを倒し、助手席から車いす本体と二輪のタイヤを取り出した。
いや情報量!!
「!!!!!!車いすバスケする人側だったの?!」
「車いすって分解できるの?!」
「助手席からひざの上を通して、自分で下ろすの?!」
私の目がテン。

すっかり運転席から車いすに移った北見は、そのまま後ろのトランクを開けた。中には、タイヤと本体を外してある競技用車いすがあった。まずタイヤを2輪降ろして車に立てかけた。そのあと、上下逆さまに積んでいる本体を、回転させながら地面に小さな車輪がつくように降ろした。本体にタイヤを左右それぞれ装着して、ようやく見覚えのある競技用車いすになった。紐を引っ張りトランクを閉めると、北見は左手で自分が乗っている車いすを漕ぎながら、右手で競技用車いすを押してきた。なんだその高度テクは。
「お待たせしました~」と言われて、我に返った。凛はそこで初めて、彼をがん見していたことに気がついた。恥ずかしい。
「あ、はいっ!」やばい、声が裏返った。
「初めまして。確か、マネージャー希望で連絡くれた子だよね。」
声が優しい。まさに大人という感じの対応だ。
「はい!そうです!今日はお願いします!」
「いいえ、こちらこそ!じゃあ、こっちです。」
そう言うと、競技用車いすを押しながら、体育館に向かった。
凜は、呆けていた状態から復活して北見についていくが、意外と速い。慌てて声が聞こえるように歩調を速めた。

薄暗い廊下から体育館に入ると、視界がぱっと広がった。窓から入る光と白い照明が床に反射し、一瞬眩しくて目を細めたが、すぐに目が適応してはっきりと見えてきた。体育館の壁際には、既に他の選手が数人いる。女性の選手もいるようだ。
「お疲れ様でーす。」北見がひとりひとりに挨拶してまわった。
北見は、他の選手同様に壁際に競技用車いすと荷物を置いてから、積まれているパイプ椅子からひとつ取って、「この椅子使ってください。」と凜に差し出した。
バスケは時間制のスポーツのため、タイマーが必要となる。学校の机ほどの大きさの液晶画面に残り時間が表示され、その画面の裏側に操作ボタンがある。そのタイマーはコート内にいる人が見やすいように、コートの真ん中付近に長机を台にして置くのが一般的だ。
凛は北見からパイプ椅子を受け取り、言われるままにタイマー付近に置いて座った。
「見学しに来てくれたの?」
髪色が派手なお姉さんが声をかけてくれた。パイプ椅子に座っているため、凜と目線が同じ高さになる。
「はい、そうです!桐谷凛といいます。よろしくお願いします!」
「あ、早瀬です。よろしくね~。」
早瀬は、凜が体育館に入った時にはバスケ用の車いすに乗り換え終わり、ストレッチをしていたのに、わざわざ声かけに来てくれた。年上の大人と話す経験が少なく、自分から話しかけるのには勇気が必要な凛にとって、とても有難かった。
早瀬と大まかな自己紹介が済んだころ、「お疲れー」と声が聞こえた。
その人はバスケ用の車いすを手で押してすたすたと歩いてきた。
凛がその人をジッと見ていることに気がついた早瀬は、やや苦笑いで、「そうそう、あの人は健常の選手でね、車いすバスケは障害ある人だけじゃないんだよ」
と説明してくれた。
へー!色々な人ができるスポーツなのか!と感心するとともに、何の予習もせず乗り込んだ自分が恥ずかしくなった。

無知な凛にも早瀬は嫌な顔をせず、車いすバスケについて教えてくれた。車いすバスケは、リングの高さやコートの広さなど、基本的にはバスケと同じらしい。違う点は、障害の度合いによって各選手に持ち点が与えられ、プレーするメンバーの持ち点の合計が14点までになるように、メンバーを調節するそうだ。
夢中になって車いすバスケ初心者講座を聞いているうち、いつの間にか8人程集まっていた。
どうやらそろそろ始めるみたいだ。
「あ、練習始まるよ、行こっか」
早瀬はそう言うと、両手でタイヤを掴んで、まるで踵をかえすようにその場で回転して、コートの真ん中で集まっている選手の輪の中に入った。凛も慌てて追いかけた。
「えー、今日見学に来てくれてますー、えっと……」
北見は、凛の目を見ると右眉をくいと上げるようにして、促した。
「桐谷凛です!今日は見学させていただきに来ました!よろしくお願いします。」
努めて明るめの声を出した。
「凛ちゃん!よろしく〜」柔和な笑顔で、バスケ車に一番深く腰をかけている山中が言った。
「大学生?」
「はい、大学1年です!」
「おー」
「若いねぇ」
ウッチャンに似た年齢不詳の小柳が呟くと、周りから優しい笑いが起きた。選手全員が敬語で話しかけていることから、どうやら最年長のようだった。

練習前に北見が練習内容を説明して、練習が始まった。どうやら北見がキャプテンのようだ。
「クロスラン3分~」と北見が全体に聞こえる大きさで言った。
クロスラン。斜めに走るのか。車いすでもスピードを出しているときは、「走る」と表現するようだ。だったら歩くと走るの境目はどこだろうと、余計なことを考えながらウォーキングアップを見ていた。
その後、いくつかのハードな練習メニューが終わったあとに、「4人ずつに分かれてフリースロー!」と指示があった。散々走った後だったので、選手は大分息が上がっている。選手達が二つのゴールの下に半分ずつに分かれて、フリースローを全員が打った。
「罰ラン、外した本数×2本!」
全員のシュートが終わると、北見は義務的な声でそう言った。
程度の差はあれど、ほとんどの選手が「マジかよ…」という顔をしている。かく言う北見も、乗り気ではなさそうだ。でも、なんのためらいもなく走り出すあたりから察するに、普段から罰ゲームはあるのだろう。
罰ランとは、罰ゲームランニングの略らしい。2本とも外した人は、体育館の壁から壁までを4往復するのだ。インスタのリールで見たやつだ!と思ったが、それよりもっとキツそうだ。ただでさえ、ウォーミングアップメニューをこなした後だったからだろうか。体育館に荒い息遣いとうめき声が響く。

その中で、唯一2本ともキレイに決めた早川が、壁際で腕を組んで見ている。1本だけ外した選手達が2往復し終わった時、
「あれぇ〜やまちゃん、スピード落ちてなぁい?」
鼻につく声でイヤミたらしく煽った。
山中から「ぅ、はぁいぃ」と、弱々しい声が漏れた。彼だけ4往復するため、3往復目からは独走だった。
「ぶはっっっっ」
北見が、腕を組む早川を指さし、笑いをこらえられず吹き出している。
でもなんだか山中は嬉しそうだ。
凛は、高校の時、体育会系の部活に入っていたため、罰ラン自体は見慣れているが、ここまで煽る環境は初めてだった。
そうか、彼らはバスケをしているのだ。確かに、高校の男子バスケ部はこんな雰囲気だった。しょうもないことで張り合って、煽って煽られて。
走り終わった山中は、膝元にあるホイールに手をかけ、自分のドリンクがある壁際に戻りながら肩で息をしていた。1回ぐんっと漕いだら惰性で進んでいくため、ホイールを持ちながら漕ぐことなく前に進むことが可能なのだ。そんな彼に、早川がボソッと「ナイスファイト」と呟いた。なんだツンデレじゃないか。
北見や他の選手も次々と「ナイスラーン」と、オリンピック帰りの凱旋のように賞賛している。
凛は、直感的に、ここはいいチームだと思った。

10分の休憩を挟み、形式練習が始まった。
バスケ経験のない凛は、何のメニューをしているのか分からなかったが、試合を意識した練習だということは分かった。
「やま、やま、やま、やま!」
「右から!」
「ボールマン!」
全員が、自分がマークしている人の名前や攻める方向など、何かしら声を出している。タイヤのキュキュという音や、車いす同士がぶつかったゴッという鈍い音が響く。タイヤのホイール同士が擦れあって、金属が焦げた臭いもする。何も見ていなければ、車椅子バスケをしているとは想像もつかないだろう。車イスでここまで激しく動くことができるものなのか。凛はすっかり魅了された。それはまるで、都会っ子が初めて満天の星空を見たかのような、新しい世界に出会った時の感動だった。

形式練習の後に、試合を4クオーターしたところで、練習開始から3時間が経過し、北見が全体に集合をかけた。体育館の中央に円になって集まった。
「お疲れ様でした〜。えー、次の練習は日曜日かな。」
「いや、土曜日やね。」
早瀬が、最後の言葉を聞くと同時に訂正する。皆の疲れ切った顔がふっと綻び、笑いがおきた。ツッコミの早さは、芸人に負けず劣らず。
「土曜日ですねっっっ!すんません!……えーと、何か連絡することある人いますか?……じゃあ終わりまーす。いきまーす、1.2.3!」
「「うぉい!」」
全員で輪の中央に向かって拳を出して、声を合わせた。
すごい、かっこいい。
北見は、全体にあと20分で体育館を出るよう伝えると、凛の方に向かって漕いできた。
「俺、バスケ車降りてるから、そのパイプ椅子、そこに積んどいてもらっていい?」
「分かりました!」
体育館に入った時に北見に出してもらったパイプ椅子を、積み上がっている上に片付けた。
バスケ車から日常車に「降りる」というのかと思った。バスケ車はある意味乗り物のようなものなのだろうか。
選手達は、各々更衣室で談笑しながら着替えていた。たまにドカンと笑いが起きる。凛は、そんな声を聞いて、高校生の時、部活後に部室でくだらない時間を過ごした日々を思い出した。感傷に浸りながらしばらくロビーで待っていると、紺のポロシャツに着替えた北見が戻ってきて、まるで今日の調子を聞くようにさりげなく言った。
「駅までの足ある?送ろっか?」
え!優しっ!近くの駅まで送ってくれるの?!まじで?!
さすがに遠慮しないとな、と思いながらも
「いいんですか?!」
と言ってしまった。なんとも図々しい。しかし、自宅から電車とバスを乗り継いできた凛にとって、近くの駅まで送ってもらえるのはとても有難い。
「いいよぉ、もちろん♪」
素直に喜んでいる凛を見て、北見は満足そうに目を細めて頷いた。

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